カテゴリ:母と癌/mother&cancer( 268 )

医療消費者

昨日、第四回目の市民大学「生と死を考える」講座に行きました。
昨日の講師は乳がんサバイバーの方で、癌から生還して得た新しい人生を、癌と闘う人たちのためにささげたいと、患者グループを立ち上げて、国会への働きかけを初め、幅広い活動をしていらっしゃる精力的な方です。

私は、母といっしょに闘っていたときには、日本の医療制度とか、医者の態度とか、いろいろ疑問を感じて、改善していきたい!って鼻息荒くしていたのですが、母が亡くなってからは、関心が薄れているように思います。
今は母のことを鮮明に思い出すから避けているだけなのか、面倒だから避けているのか、自分でもどういうつもりでかわからないけど、もうあの頃のような情熱がないのです。

それはそれとして、この講師の方は、患者グループで患者同士、包み隠さずいろいろな思いを語り合うこともしていらっしゃるのですが、そのような中で、多くの友人が亡くなっていったそうです。多くの癌患者の死を見ていくなかで、一番重要なのが、夫婦、家族の関係だそうです。自宅で治療を続けたいのかホスピスに入りたいのかという決断以前に、夫婦や家族の関係が悪いと、それどころではないのだそうです。「夫と同じ墓に入りたくない」というのが死に際での最大の願いであった人もいるとか。。。生きるか死ぬかというときになって、夫婦や家族のあり方が問われるものですよね。前回の日航機墜落事故についての講座のときにも、子供を失った夫婦が離婚に至ったケースを聞きました。

幸い我が家は、母の闘病と死を通して、父と母、私と夫、夫婦、家族としてこれまで以上に結束することができるようになったと思います。
親が癌と闘病中という多くの方とネットで知り合いましたが、その方々も皆、家族の絆を深めていて、私も多くのことを学ばされていて、このような出会いを嬉しく感謝しています。

昨日の講義で、家族だけで闘うより他人が入ったほうがいいといわれ、その通りかもしれないと思いました。患者グループに入って第三者の意見を聞いたりするのも一つの方法だと思いますが、私の場合は、このようなネットで知り合った友人、そして身近にいた教会の牧師夫妻が、私たち家族の戦いにちょうどいい頻度で入ってくださいました。今思えば、このような他人の介入がなければ、家族だけで盲目的に母の癌と闘っていたかもしれません。

もうひとつ心に残ったのが私たちは医療消費者であるということ。食べ物や服はいろいろ吟味して選んだりするけれど、医療に関しては、医者や病院にお任せになっているという問題を指摘されました。私たちは、消費者であって医療を選ぶ権利があるし義務があるのですね。セカンドオピニオンとか、少しずつ病院や医者も意識が変わってきたかもしれないけど、まだまだ医者の言いなりになってしまうことは多いですよね。私たちが正しい消費者として、医療というサービスを消費していけるようになるために、やはり私自身、母の闘病を通して感じた多くの疑問を、様々な機会に投げかけていかなければならないあと思いました。
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by marthymarthy | 2008-01-16 11:01 | 母と癌/mother&cancer

きらきら

昨日の朝、8時半ごろ、NHKがついていた。

8時半の短いニュースが終わって、生活ほっとモーニングのイントロみたいなのが始まった。緩和ケア病棟ですごす癌患者の人を特集するようだった。私は、イントロの部分しか見なかった(母が一番苦しかった時を思い出すので見ることができなかった、というのが正直なところ)のだけど、そこに登場した数人の末期がんの患者たちは、みんな目がきらきらしていた。母と同じ目だと思った。

母も終盤、この人たちと同じように目がきらきらしていた。死の少し前って、人が自分の生を一番意識していて、生に対して一生で一番一生懸命になれているのではないかなと思う。だからこんなに目がきらきら透き通るように光っているんじゃないかなあ。

母の闘病を通して、健康な私たちにとっても、1日1日生きていることは奇跡なのであって、毎日を大切に生きるべきだなと何度も思ったのに、やっぱり時間を無駄にしているなと感じる。人は本当に自分の死期を自覚できたときでないと、本気で生きることはできないのかもしれない。

今このときも全国の、そして世界中の緩和ケア病棟で、死を目前にして体はほとんど動かないけど、健康な人の何十倍も何百倍も一生懸命に生きている、澄んだ目をした人たちがたくさんいらっしゃることを覚えます。

キリスト教には月命日っていうのがないので、私はついつい忘れがちなのだが、今日で母が天国に行った日から7ヶ月。父がお墓参りをしたというメールをくれたので思い出した 私の生来のなまけ癖が出そうになったら、母の澄んだ目を思い出そう。
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by marthymarthy | 2008-01-10 17:01 | 母と癌/mother&cancer

電話の主は

電話が鳴ったので出てみると、
中学、高校時代の友人のお母さんだった。
私の母のことを知らせる喪中葉書を見て、
私のことを心配してお電話してくださったのだ。
喪中葉書は友人宛にしていたのだけど、
友人のお母さんによると、今友人は、
ご主人の留学先であるドイツに行っているとのこと。
葉書は実家に転送されたものと思われる。。。

おそらく彼女のお母さんと私の母が頻繁に交流があったのは、
私たちが同じクラスだった中学一年のときだから、
恐ろしいことにもう22年前!!!
そんな昔に1年ほど交流があった人のことを、
今も偲んでくださってありがとうございます。
私の目や輪郭が母に似ているなどともおっしゃった。
輪郭は似たくなかったけど。。。。

このお母さんはクリスチャンだと伝え聞いていたのだが、
私がクリスチャンになったことも伝わっているらしく、
話はキリスト教にまで発展。
世界は狭いなと思った。

電話は一時間近くにも及んだ。
母のことで、わざわざお電話くださって、本当にありがとうございます。

母の闘病中、葬儀直後、そしてその後もずっと、
人々の優しさを感じている。
私も少しでも、この人たちのように、
周りの人を慰めることができる人間になりたいな。
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by marthymarthy | 2007-12-20 16:12 | 母と癌/mother&cancer

奥様は大学生

ちょっと大げさなタイトルにしてしまいましたが、
わたくしのことです
しかも、市が主催する市民大学の学生ってだけです
今日は3回目。
今年母が亡くなったこともあり、市の広報誌で
「生と死を考える」市民大学講座があると知って、
申し込んだのでした。
1回目は、「死生学」のパイオニア、アルフォンス・デーケン先生のお話。
2回目は、尊厳死について学びました。

今日は日航機墜落事故の後、遺族とのやり取りに当たった元JAL社員のお話だそうです。レポートは明日のお楽しみ。

ちょっと話が跳ぶけど、昨日教会の礼拝で牧師が言っていたのですが、目のお医者さんによると、私たちの目は光を介してしか見えてないので、存在するものの2%くらいしか見えてないそうです。ま、牧師はこの2%という数字の根拠はわからないとも言ってましたが、私たちには見えてないけど、実際にはそこに在るものはたくさんあるというのが事実でしょう。わ~、私の周りに目に見えないどんなものが存在しているのか、考えると楽しいような怖いような。
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by marthymarthy | 2007-12-17 16:12 | 母と癌/mother&cancer

ウェディング素材で

今年は親族が亡くなったということで喪中ではありますが、
喪中葉書を出すべきか否か迷っておりました。
結婚して子どもがいる友人たちとは、なかなか会えず、
年賀状の写真が彼らの近況や子供たちの成長を知る
数少ない手段。年賀状はもらいたいなあ。
それに母はこの世の人生は終わったけれど、
天に帰っただけだし、そんな暗いモードにしたくない。

とか悩んでいるうちにもう12月も数日が過ぎ、
ここ1週間かそこら、次々と喪中葉書が届いていて、
やっぱり日本に住んでいる以上、日本の礼儀に従うべきでは?
と思い始め、昨日の午後になって、やっと、
我が家でも喪中葉書を作成することに決定しました。

今、文面やデザインを考えて、なんとか仕上げて、印刷中

少しでも明るい雰囲気にするため、紫陽花の絵を入れました。
喪中葉書専門の印刷屋さんのホームページを参考にしていたら、
紫陽花の絵入りの喪中葉書もあったので、
この季節でも紫陽花を使っていいんだ!ということで、
母が亡くなった時期に咲いていた紫陽花の絵を挿入。

私が使った紫陽花の絵は、ウェディング用のフリー素材からいただきました。
c0256342_1516438.jpg

だって母は天に嫁いだようなものですから、ウェディング用でもいいよね。
葬儀もまるで結婚式のようでしたし。

宛名書き、切手貼り、がんばるぞ~~
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by marthymarthy | 2007-12-06 10:12 | 母と癌/mother&cancer

ピンクの薔薇を

c0256342_1311561.jpg
今日は小雨でちょっと寒かったけど、友達の子供が通う学校の学園祭にくっついて行きました。

外部の業者も入り、お花なども安く売っていて、ちょうど母が死んで五ヶ月ということもあり、三百円のミニバラを買ってみました。切花より長持ちするかな(育てる自信ナシ)。
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by marthymarthy | 2007-11-10 18:11 | 母と癌/mother&cancer

お母さんおめでとう

今日は母の誕生日だったのです。
さっき思い出して、「おめでとう」の電話ももうできないんだなあと思い、なんだか寂しくなってしまいました 
母が死ぬ数日前、

もう声を出す力もないのに、その力を振り絞って私に「がんばってね」と言ったことを思い出しました。私、「がんばるよ」って答えたのに、なんかあまりがんばってないなあ。通訳のために送られてきたわかりにくい資料、がんばって読もうっと

でも涙で目がうるんでいては、文字も読めないので、PCの前に戻ってこの歌を聞いたら元気になりました

"These are they"
The oceans give up of the dead
That are in them
The graves open wide
To set captives free
And those who are roaming the Earth rise to meet them
Abraham's seed as the sands of the sea
海はその中にいる死者を出し、
墓は開いて捕らわれ人は連れ出される。
生き残っている者たちは引き上げられ
海の砂ほどのアブラハムの子孫たちが皆
空中で出会う

Chorus

These are they
Who have come out of great tribulation
They have washed their robes in the blood of the Lamb
They have come through much sorrow into great jubilation
They're redimeded by the blood of the Lamb
彼らは大きな患難から抜け出てきた者たちで、
その衣を子羊の血で洗ったのだ。
大きな悲しみを通ったが、歓喜の中に入れられた。
彼らは、子羊の血で贖われたのだ。

And like a strong and mighty army
Their voices are ringing
Oh great cloud of witnesses
They sing freedom's song
As they enter the country
Built by their own fathers
The promissed homeland
They've looked for... so long
強い無敵の軍隊のように、
彼らの声が響いている。
天で証人たちが雲のようにとりまき
自由の歌を歌っている。
父なる神が建設した国に入りながら。
長い長い間、熱望してきた、
約束の故郷に。

And all the strangers
And all the pilgrims
They'll be no longer strangers
All the tired and the weary wanderers
They'll wander no more
The table is spread for the great celebration
And the welcome home banner
Flies over the door
互いに知らなかった者たちも、
巡礼者たちも、
もはや互いに知らない者はいない。
疲れた者たち、旅人たちも、
もはや旅をする必要がない。
盛大な祝宴の席が準備され、
「ようこそ故郷へ」という旗が、
入り口の上で翻っている。

(Chorus)
These are they
Who have come out of great tribulation
They have washed their robes in the blood of the Lamb
They have come through much sorrow into great jubilation
They're redimeded by the blood of the Lamb
彼らは大きな患難から抜け出てきた者たちで、
その衣を子羊の血で洗ったのだ。
大きな悲しみを通ったが、歓喜の中に入れられた。
彼らは、子羊の血で贖われたのだ。
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by marthymarthy | 2007-10-30 11:10 | 母と癌/mother&cancer

青山フラワーマーケット

昨日出かけついでに、最近最寄り駅近くに出来た青山フラワーマーケットにて出来合いのブーケを買いました。秋の装い〜
母の好きな聖書のみことばの額のとなりに飾りました。
みことはば
「夕暮れには涙が宿っても 朝明けには喜びの叫びがある」
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by marthymarthy | 2007-10-23 10:10 | 母と癌/mother&cancer

死生学入門

では、昨日の講義のメモをまとめたいと思います。私の考察も多少含んでいるかもしれません

死への準備教育というのはとても大事。
ドイツ語では人間と動物では「死ぬ」という動詞が違う
人間はsterben、動物はverendenを使う。動物の死は一方通行。つまり、体が弱り始めると、弱る一方だが、人間は、
体が衰弱する中でも心や魂が成長できる。死が近い、時間が限られている、と実感すると、本当に生きるようになる。

ギリシア語には「時間」という単語が2つあって、chronosは量的な時間、kairosは質的な時間、二度と来ない瞬間、を意味する。この後者、「質的な時間」が大切で、死への準備教育を通して人間は体が元気なときでも、時間が限られていることを実感して、瞬間瞬間を大切に生きることができるようになるだろう。

死には4つの側面がある。
心理的な死(生きる意欲を失った状態)
社会的な死(入院しても誰も見舞いに来ないような、孤独な状態)
文化的な死(老人ホームなどで、文化的な潤いがない生活状態)
肉体的な死

4番目は、最終的には避けられないが、20世紀における医学の発達で、平均寿命は驚くほど延びている。21世紀の課題は、残りの3つの側面における延命。

高齢社会におけるクオリティ・オブ・ライフを考えるとき、何を「持つ」かよりもいかに「ある」かが重要。つまり人格。クオリティ・オブ・ライフのライフ(life)は「生活」と訳されているが、lifeには命という意味もあるので、「クオリティ・オブ・ライフ=生命や生活の質」と考えたほうがよい。

クオリティ・オブ・ライフのもう一つの鍵が「思い煩いからの解放」。デーケン先生は若い頃から老人ホームなどを頻繁におとずれ、研究をしているが、高齢者の問題として「思い煩う」ことがあげられるらしい。思い煩うことが高齢者の道楽かと思うほど、いろいろ心配ばかりしていると、指摘されていた。たとえば天気など、自分ではどうすることもできないことについて思い煩うのはよくない。デーケン先生の信条は「晴れてもアーメン。雨でもハレルヤ」だそうだ。

次に悲嘆教育の重要性。
人生は喪失の繰り返し。愛する人との別れに対応する術を身につけておく必要がある。悲嘆と向き合うことを英語ではgrief work、ドイツ語ではtrauerarbeitという。英語ではworkとなっているがドイツ語の後半、arbeitアルバイトも、日本で言うアルバイトではなくて、「仕事」そのもののこと。だから、悲嘆と向き合うというのは、一つの「仕事」なのだ。様々なプロセスを通して、最終的には新しいアイデンティティを発見していくための作業。(たとえば、「田中さんの奥さん」はご主人が生きている間は「田中さんの奥さん」で十分アイデンティティが確立していたが、ご主人を失えば「田中さんの奥さん」以外のアイデンティティが必要になってくる。)

アメリカではpre-widowhood educationという教育も始まっているらしい。つまり、配偶者の死に備える教育。アメリカの著述家ウィル・デューラントは、「大きな苦しみを受けた人は、うらむようになるか、やさしくなるかのどちらかである」と言ったそうだが、誰もが愛する人との別れを体験するのだから、是非うらむようにならず、やさしくなりたいものだ。

また、自らの死への備えとして、6つの課題を挙げられた。
1.手放すこと。執着を断つ。死んだ後に行くところでは、円もドルもユーロも通用しない。
2.ゆるしと和解。ゆるしは真の強さの証し。情緒レベルのゆるしではなく、意思レベルのゆるし。
3.感謝の表明。ドイツ語で「考える」はdenken、「感謝する」はdanken。英語もthink(考える)とthank(感謝する)は似ている。偶然ではないだろう。正しく考えることによって感謝が生まれる。
4.さよならを告げる。
5.遺言状の作成。遺産相続争いなどを避けるための遺された人への思いやりである。
6.自分なりの葬儀方法を考え、それを周囲に伝えておく。これも思いやりである。悲嘆を乗り越えるプロセスとなるので、葬儀は行ったほうがよいが、葬儀によっては高額になるので、生きている間に(できれば元気な間に)夫婦などで自分ならどんな葬儀にしたいか話し合っておくのがよいだろう。

最後の項目は「ユーモア」だった。講義全体を通してユーモアの大切さは強調されていたが、最後に「ユーモアとは、愛と思いやりのあらわれ」だとおっしゃた。ドイツでは「ユーモアとは『にもかかわらず』笑うこと」という有名な定義がある。苦しさの中で笑えること(自己風刺)は、相手への思いやりである。これがジョークとユーモアの違い。

デーケン先生の著書に「ユーモアは老いと死の妙薬」というのがある。私は実は読んだことがないのだけど、10年以上前になるが、母の誕生日に母にあげた記憶がある。50代になった母に人生や死について考え、ひいては、永遠の命の信仰を持ってもらえないかなと期待しつつプレゼントしたのだと思う。今思えばおこがましいが。。。母がこの本を読んだかどうかわからないけど、私があげたキリスト教系の本はすべてまとめて大切に保管されていたのを母の入院中に発見して嬉しかった。もちろんこの本もあった。今度実家に帰ったら読んでみようと思う。

昨日の講義のまとめ、これでおしまい
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by marthymarthy | 2007-10-16 07:10 | 母と癌/mother&cancer

菊池寛賞の理由

今日は上智大学名誉教授のアルフォンス・デーケン先生の講義を聞きに行った。もう日本での暮らしも何十年にもなっていらっしゃるので、訛りはあるものの、流暢な日本語でたくさん笑わせてくださった。ドイツ人ときいていたから、いかめしい顔の、大柄の男性を思い描いていたけど、小柄で、優しそうな方だった。1932年生まれだそうだ。

タダでこんな講座受けていいの?って思うほどよかった。市の広報誌、ちゃんと目を通しておいてよかった〜。

デーケン先生は菊池寛賞を受賞しているのだけど、その理由は、「死生学」という言葉を普及させたから。もともと欧米には「死学」にあたる単語(英語はthanatology)があるらしいのだけど、日本にそれを輸入するのに、「死」がタブー視されている日本では「死学」では受け入れられないと考え、死を学ぶことは、生を学ぶことでもあるから、「死生学」と訳してこの学問を日本に広げたのだそうだ。

1時間半の講座、かなり中身が濃いものだった。もう遅いから、詳しくは明日書きますね!ご関心のある方は、明日も是非Editing mylifeにアクセスしてみてくださいね!!

ではおやすみなさ~い
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by marthymarthy | 2007-10-15 22:10 | 母と癌/mother&cancer


2007年に天に帰った母の闘病記がメインです


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